【著者プロフィール】石井 博之
杏林大学 理学療法学科 准教授(元 国際医療福祉大学・理学療法学科 講師。国際医療福祉リハビリテーションセンター・リハビリ室 主任)

ヨルダンの印象

 私は2007年8月から中東のヨルダンという国でJICA(国際協力機構)個別専門家障害者支援政策アドバイザーとして社会開発省障害者関連局で活動していました。
 そして、ヨルダン国内のCBR(地域に根付いたリハビリテーション)プロジェクトに現地の方々と携わってきました。このプロジェクトを通じて農村部の心身障害児へのリハビリテーションサービスの向上だけでなく、障害者を含めた地域住民全体の生活環境、意識の改善を促していければと考えています。

 まずは、ヨルダン全体の私の印象を述べさせていただきます。

 ここはイスラム教徒が国民の大半で、彼らの生活はイスラムの戒律を守り、厳かに生活しています。日本人の私に周囲の友人はとても友好的に接してくれ、よく家に招いて家族づきあいを大切にしてくれています。(アラブ料理は一通りごちそうになりました。)
 但し湾岸諸国のように油田のないこの国の貧富格差は改善課題の一つですし、パレスチナ自治区や隣国のイラク情勢など、不安定要因もあるので中東情勢には気をつけています。

 ここは全国民のおよそ3分の2がパレスチナ系の人で、第1次から第4次までの中東戦争の間にヨルダン川東のこちら側に避難してきたり、3代ほど前の祖先の代にこちらに移住してきたりと様々です。当然周囲にはパレスチナの人々が多く、彼らの体験を聞く機会も時々あります。その中で平和で穏やかに過ごしたいと願うのは誰も共通の願いであることを実感します。
 しかし視点を変えるとこんなに多くの(マジョリティーが逆転するほどの)パレスチナ人を受け入れるヨルダン人の懐の深さがここの人々のすばらしさの一つであると感じ、ここの人々に接していると多くのことを学びます。
 日本にいると当然であると感じてしまう平和が、ここにいるととても尊いものであると実感します。
 それに加えて今この地で活動できることに感謝しています。

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活動紹介

 ヨルダンは私の滞在している首都アンマンが標高約700m、活動場所の一つである死海のほとりは標高マイナス約300mと標高差が大きく、地域によって気温が大きく違います。アンマンは東京の年間気温変動と近いらしく、今は雨期が終わって春真っ盛り、新緑がきれいです。日本はこの季節桜がきれいに咲き誇りますが、ここでは杏子やプラムの花がきれいで、それらを見る度に日本の梅や桜を思い出します。何よりもここは砂漠が国土のほとんどを占める国なので、このつかの間の緑は心を和ませてくれます。

 前項で簡単にお伝えしましたが、私は2007年8月から中東のヨルダンという国でJICA(国際協力機構)個別専門家 障害者支援政策アドバイザーとしてCBR(Community Based Rehabilitation;地域に根付いたリハビリテーション)をヨルダン国内で普及させ、地域で暮らす障害者と地域住民の生活向上を目指す取り組みを社会開発省担当者と取り組んでいます。そこで今回は私がここでしていること、つまりCBRについてお伝えします。

 ヨルダンでは都市部の医療はある程度充実しており、理学療法士、作業療法士などリハビリテーション専門職の養成校も必要を満たす以上に設置されています(大学3校、専門学校1校)。しかし都市部を離れると状況は一変し、医療だけでなく、経済的にも地域格差が非常に大きいことがヨルダンの問題の一つであると思います。

 CBRはこのような医療の行き届かない地域にリハビリテーションサービスを普及させることを目的に、地域の中でリハビリテーション機能を担うことができるように支援します。当然リハビリテーション専門職はいない、もしくは必要を満たすに足りないことが多いので、その地域で暮らす人々からCBRワーカーと呼ばれる担当者を決め、その人にリハビリテーションに必要な要素を伝え、その人の手でリハビリテーションサービスが行えるようにしていきます。

 それに加えてその地域で暮らす障害者がより豊かな生活を送るための支援にも重点を置きます。つまり家族や地域の人々との人間関係作りが大切です。この人間関係の基に相互扶助を確立する手助けが活動の主体になります。ここで大切なことは当事者を取り巻く地域全体で、その地域の問題点を考え、地域に暮らす全ての人が豊かな(ここでの豊かさとは経済的な側面だけでなく、人生の質のことです。)日々を過ごせる社会にするための行動を地域全体に促していきます。

 私自身もこの活動を通じて、日本で一人の理学療法士として働いていたときよりも、より障害者の視点に立って実際の生活や地域への視点を向けるようになり、その必要性を実感しています。しかしこの活動はヨルダンの人々の文化的背景への理解なくして成り立ちません。実は私自身、アラブ社会での活動は初めてだったため、開始当初いろいろなことで戸惑いがありました。

ヨルダンの子供たち

ヨルダンの砂漠と青空には感動します

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ヨルダンのリハビリテーション事情について

 ヨルダンでは理学・作業療法士の養成校は大学が3校、専門学校が2校あり、都市部のリハビリテーションは比較的高水準であると感じます。

 しかし多くの理学・作業療法士は都市部で働きたいという意向が強く、農村部ではリハビリテーションサービスはあまり働いていません。また、ヨルダンよりさらに高収入の得られる、湾岸諸国(サウジアラビアやアラブ首長国連邦などの産油国)へ就職を希望する人も多くいます。

 日本人は言葉の問題で、海外で働くことに躊躇しますが、同じアラビア語を話し、同じ宗教、同じ文化を共有するアラブ諸国では人の行き来は自由なようです。逆にここにいてもエジプトやスーダン、イラクやその他アラブ諸国から来た人々と普通に接します。

 彼らはやはりより高収入を求めたり、また戦火から逃れてきたりと、事情はそれぞれのようですが、国境という垣根の低いことを感じます。

 話がちょっとずれてしまいましたが、この都市部と農村部の地域格差に加え、もう一つの特徴はリハビリテーションそのものに対する考えにあります。

 ヨルダンの人々のほとんどはイスラム教徒であることはご存じのことと思います。イスラム教では物事の多くは「神のご意志」であり、障害に対する予後予測など、将来のことを人間が決めること、他人に言うことは許されないそうです。

 つまり障害への告知があり、それを受容し、生活設計を立てるという、リハビリテーションには当然必要なプロセスがなされにくいことが現実です。そのためリハビリテーションは障害を治癒させること、つまりノーマライゼーションに主眼を当てたものとなります。

 これは決して否定されるべきものではなく、むしろ尊重した上でどのように地域に暮らす障害者の生活を支えるかが課題であると思います。

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